地元福岡で終活を楽しみながら、ともに生きるブログ

僕って、高校のころ、おじいちゃん、おばあちゃんと三世代同居していた。よかった思い出が、おじさん、おばさんの遺産相続で消し飛んだ。大好きなおじいちゃんもおばあちゃんのために、してあげることが小さかった。今度は僕の番になった。少しずつ同級生が逝ってしまうし体も弱くなる。何でも話せる友達がいないと老人は寂しい。だから、ブログで友達を作りながら、お互いにサポートしあいたい。は弁護士法人は当たり前であり、どれもこれも大規模化している。一方日本はどれもこれも小規模化している。とりわけ士業は零細企業状態。だからこそ大規

祭祀承継と相続!

 祭祀とは系譜、祭具、墳墓などを指し、通常、先祖代々のお墓、納骨堂の遺骨や祭壇、祭具、自宅内のお仏壇などを指している。

 そして、この所有権は相続人がだれで、どの相続人が相続財産をどれだけ承継するかなどということとは無関係だという(民法897条)。

 下の例で説明する。

   X(Aの母)

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   A(被相続人)=B(配偶者)

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          C(長男)    D(長女)

 Aには家業の農業があり、元々BもXも、子供C、Dも同居していた。Aは長男として若い頃から農業に従事していて、その嫁Bも若い頃から尽くしていた。Aが亡くなってからは、Bは引き続き農業に従事するとともに、Aの位牌を自宅で祭り、納骨堂にAの遺骨を納めて、遺骨預かりの願主をB名義にしていた。ところが、Aの死後XとBとは不仲となり、Bは居づらくなって自分の姉妹方に転居した。

 元々Aの遺骨は納骨堂にBを願主として納められていたが、Bは、Aの焼骨を自ら供養したいとして、その旨Xらを訴えた。一審ではX側の勝訴となったが、控訴審の東京高裁は

 

家督相続を改めた現行法の元では)、婚姻夫婦をもって家族関係の原初形態というべきところ、夫婦を家族の中核としているから、亡父の遺骨及び祭具につき残された配偶者に所有権が存するものと解するのが相当である(東京高裁昭和52年10月8日判決)(趣旨)

とした。

 嫁と舅の関係は、きっと太古の昔から難しいのだろう。この事例は、舅から追い出された嫁は亡父の遺骨を実質的に姻族関係の消滅した後も、殊勝にも亡父の遺骨を自ら供養し続けると主張したものである。元々Bは家督相続の存在した昭和28年に、Aと婚姻して、A家に嫁いできていた。

 

 ところで、私の周りではこれとは全く逆のことが起こっている。

 ”老人の孤独死と無縁遺骨の大量発生という社会問題”

 

 この判例の原告と被告は、昨今の事情を聞くと腰を抜かすだろう。

 

 実は、私、福岡と対馬海峡に浮かぶ離島に仕事で住んだことがある。このとき、極貧の新婚夫婦がいて、新婚とは言っても、二人とも70歳を超えていた。妻は長年の多飲がたたって肝臓病で急死した。そこでは新夫が喪主になった。私は、亡妻の親族(妹と姉)を捜し当てて葬式の連絡をした。姉等は遠方から渋々と出てこられた。「ご遺骨はいかがいましょう」と切り出すと、すぐに「引き取りできません」と拒絶された。

 すると、新夫の望みとおり(望みであったかどうか分からない。なにしろ、この二人もここ1,2年の付き合いであった)、遺骨を引き取ることになった。

 私は横で見ていて、「流れの上で、自分が責任を放棄できないから、遺骨を受け取ると言われたんだろうか」と思った。

 葬式の参列者に、私が「遺骨を受け取るものがいないとか、昔の家督相続の時代なら、考えられないな」ということ、若い人が「家督相続って、なに?」と言った。

 

 私は、昭和よりもっと前の家督相続の存在した時代に憧れている。

 私は、明治生まれの祖父祖母と小学生の頃、一緒に暮らしたからかもしれない。

 

 

 家督相続って、なに?