地元福岡で終活を楽しみながら、ともに生きるブログ

僕って、高校のころ、おじいちゃん、おばあちゃんと三世代同居していた。よかった思い出が、おじさん、おばさんの遺産相続で消し飛んだ。大好きなおじいちゃんもおばあちゃんのために、してあげることが小さかった。今度は僕の番になった。少しずつ同級生が逝ってしまうし体も弱くなる。何でも話せる友達がいないと老人は寂しい。だから、ブログで友達を作りながら、お互いにサポートしあいたい。は弁護士法人は当たり前であり、どれもこれも大規模化している。一方日本はどれもこれも小規模化している。とりわけ士業は零細企業状態。だからこそ大規

市販のエンディングノートを買った

ネットで、「相続手続きで困らないエンディングノート」を買った。

52ページという薄いものだが、最低限必要なことは書かれているようだ。

 

第1ページに書かれていることから紹介して書いていこう。

 

自分のプロフィール

   名前、住所、生年月日、名付け親、由来

 

過去の住所

 

学歴

 

職歴

資格など

 

アレルギーの有無

 

持病

面白そうなのだけ紹介する。

 

名前の結アハオフの安部藤平さんが付けたもので、なんでも「選挙に出てくれるに違いない。だから、有権者が投票用紙に書きやすくて簡単な漢字の名前がいいんだ」ということだった。

  確かに、一之は、画数にしてなんと「4」しかない。簡単すぎるぞ。

アレルギーはない。どちらかというと、味が濃いものやちょっと癖のある食物が好きだ。魚なら、魚らしい味のする青み魚のサバの方が、癖のない鯛よりもはるかに好きだ。もっとも、これには反対説があって、母親は「あんたは、小さいころ、叔父叔母、祖母祖父らとともに同居していた。当時は昭和33年で食料はまだ足りておらず、家族で美味しい料理を取り合うほどの状態だった。そして、当時は白身魚は青み魚よりもずっと値段が高くて、みんなが好んでいた。

 母はこう言った。

「それでね、かずちゃん、意地悪な当時20歳くらいの叔母がねえ

  『かずちゃんにはサバを食べさせておけばいから』

と言いながら、その娘が食べ残したサバを和ちゃんのさらに盛っていたのよ」

と。

 当時、僕の皿にサバが溢れていたそうだけど、それを僕はおいしそうに食べていたんだと(笑い笑い笑い)。

 小さいころに食べつけたサバは大人になってからも、ずっと好んで食べている。

 

〇持病

 僕は高校を卒業し、大学論人をしていた頃、風邪を引いて扁桃腺を腫らした。

 そして、血尿を出した。急性腎炎になってしまって、それ以来、慢性腎炎になってしまった。当時は「IGA腎症です。50歳を過ぎたら人工透析になる可能性が高いと思って下さい」とS医師から言われた。

 その医師は、彫りが深くてハンサムだったんだよ。ところが、幸か不幸か、60歳を過ぎたけど、腎臓はピンピンしており人工透析とは縁がないようだ。腎臓の調子も悪くないし、血液検査も良好そのものだ。