エンディングノートを書いたよ。
書いているだけでも、ほのぼのと少年時代を思い出す。
僕はとても寂しかった。僕は将来が不安だった。大人たちは自由が多くていいなああと思った。じいちゃんは明治生まれだったし、憲兵として満州にも住んでいたが、戦後GHQがきて、元警察幹部とかはあらゆる公務員から追い出されたと言っていた。というか、戦後の混乱で職がなかったんだ。それが口利きで通商産業省の現場役人になり、それはもう終生にわたり、口利きしてくれた人に感謝していた。
それに、公務員に再就職できる前は、豆腐の行商もしていた。それはそれは、旧制中学を出て警察署長にもなったじいちゃんだったから、プライド的にも日常生活的にもつらかったと思う。豆腐は早朝から(前日の未明から)仕込みをして、午前6時過ぎには住宅地にリヤカー(知ってる?)を引いて、豆腐を売っていたという。当時は温暖化ではなく、早朝は冷下5度前後だったろうから、「あーー寒かった」とつぶやていた。
めでたく公務員を定年退職して、当時は恩給というのがあり、それをじいちゃんは自慢していた。金額も多かったんだろう。
などと自分のエンディングノートのはずが、いなくなったじいちゃんのエンディングノートみたいなことが次々に浮かんでくる。
結局、じいちゃんは、裁縫で金を稼ぐばあちゃんのおかげもあって、子供たち5人のためにそれぞれ家を建ててやっていた。ばあちゃんが目敏くて、「土地はアナらず必ずかがるから」と言って、農協から借金して安かった土地を買い集めては、その上に住宅までたてていた。
あっ思い出した。僕は小学生の頃、じいちゃんと一緒に住んでいいたんだけど、その日本家屋の大きな住宅は、大工さんと自分で建てたと言っていた。
僕はそんな器用なことはできない。
自分のエンディングノートは??
僕は、当時の北九州市戸畑の実家で産婆さんに取り上げてもらって生まれた。
生まれた家で3年は住んでいて、当時「若戸大橋」が建設中だったから、母は僕がぐずると、おんぶして鉄道の鉄橋を渡って、建設中の若戸大橋を見に行ってくれた。
いやーもう完成したばかりだったかな?
から