生きているいま、相続についてどれくらい期待できるか。
いよいよ、コロナで緊急事態宣言が出される直前になった。
閉塞感でいっぱい。とりわけ、イベント業界の方々、飲食店に方々、旅行関係の方々に対しては、同情を禁じ得ない。
私、家族にきつく言われているため、夜間、焼き鳥店に立ち寄ることもなく、お持ち帰りの焼き鳥で満足するようにしている。福岡市中央区平尾駅付近には、980円でかなりよい食材で、焼き鳥を出してくれるところがある。
そこで今は、休日であっても、自宅でビデオを見るから、ジョギングするか、一人寂しくビールで焼き鳥を楽しむかしながら、難解な参考書を読んだりしている。
今、読んでいるのは
だ。判例の引用が多くて、相続の分野における現実がどうなっているかがよく分かる。
親が資産家であったり、その資産で子供が生計を立てている場合、子供は、その資産を今後も利用させてもらえるし、先々、親が亡くなった場合は、当然相続できると思っている。
ところが、人間は感情の動物だから、合理的な考えどうりに行動しないことがある。
息子Aは実母甲とともに、実母名義の農地を耕作するなどして生計を立てていた。ところが、Aが妻Bを娶り妻帯すると、Bと甲が不仲となり(いわゆる、嫁舅の問題)、感情に駆られた実母甲は、重要な資産である広い農地を黙って他人に売却した。AもBも途方に暮れていたので、裁判に訴えた。
【さて、どう思われますか?】
息子Aは、先々野市を農地を相続できるだろうと思っていたし、現に甲のためにも、その農地を利用して、生計を立てているのであるから、まさかそんなことまではないだろうと思っていたし、先々農地を相続でいると期待していた。
ある意味、「当然、Aは農地をしばらく利用できる期待を保護すべきだろう」と感じる。ところが、判例において
甲が他人に売却した売買契約は、自分を追い出し、農地を相続させないためにしたものであるから、仮装売買であり無効だとした。
しかし、判例は
Aの相続期待権というほどのものではなく、Aには訴えの利益がない。
として、Aの主張を退けた。
人は感情の動物であり、非合理的な行動をとってしまうものだということを心に留めておきたいと思った。